うばたま

30年ほど前に、王師から太極拳を習い始めた頃、最初にまず、存思(瞑想)をしながら動く套路を徹底的に習った。

 その時に、王師はまるでジェルの海の中を漂うような感覚を得るはずだということで、ひたすら、その感覚を探しながら套路を恐ろしくゆっくりと行っていたものである。

 

 何日かすると、その変成感覚が表れ、それから30年ほぼ毎日行っている套路に、あたりまえに感じる感覚になっている。

 

 海底針(かいていしん、という太極拳の型)とはよく言ったもので、確かに海の底でゆっくりと動いている感覚で套路を行うのであるから、そのような表現はぴったりとくる。

 

 そこで思いだしたことだが、王師と出会うまでの私のアウトローな生活の中で、わたしは「うばたま」というサボテンと出会ったことがある。

 

私が働くディスコに出入りするフィリピンの人から手に入れた。

 

2cmほどの玉にちぎり、糸を通して乾燥させてから、チョコレートと一緒に食べた。フィリピンの人から教わった食べ方だ。

 

20粒ほど食べたが、苦さが恐ろしく強く、ちょうどセンブリを団子にしたような酷い味で、チョコレートと食べても辛い。気持ち悪くなったので食べるのをやめた。

 

外の風にあたろうと、公園を歩いていると、回りの空気が纏わり付いてきて、まるでジェルの中を歩いているような感覚に襲われた。とてもリラックスした感覚で、その内、ジェルと自分の体の境界線が無くなって溶け込んでいくような感じになり、何もかもとつながっているような変成意識と共に、快感と幸福感がみなぎってきた。

 

王師と共に套路を行っているときにも、それと寸分違わぬ感覚と意識にうもれてきた。

 

今は、存思の套路をすればその感覚はあたりまえにある。そして一日中その感覚の余韻を残したまま時間が流れる。車も人も何もかもがゆっくりと動く。トローとした感覚は、快拳(早く動く)で太極拳を練習していても同じである。又、套路をすればすぐのその感覚が充満する。

 

「うばたま」はメスカリンを含むらしいから、もちろん日本では違法であろう。

 

祖父の側近から柳生新陰流を、学生の頃教わったときも、転(まろばし)の感覚を水の中で剣を回すような感覚と教わった。インディアンが儀式に使用したと言われる「うばたま」、しかし、人間の能力の内にはこのような感覚を得ることができるものが自然に備わっている。それを思いだして、楽しまない手は無い。特にその感覚のままの、スキンシップは素晴らしい感覚になる。

 

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