長男が4月に生まれてからは、30年近く毎朝行っていた太極拳の套路も最近はご無沙汰です。しかし、長男をお風呂に入れてからの夜の数時間を、坐道や太極拳などの時間に充てています。ちょうど映画を一本見ることができ、映画の世界に没頭するのは無為自然な太極拳の動きには最適です。昨日の夜見たのはこの映画。
最初に空中浮揚を行っているシーンがあります。主人公の葛藤から生まれている防衛機制であり、人よりも優れた能力を保有することで今の自分の劣等感を調整する姿です。
世の中はリアリズムだけではなく、このような非現実的世界にも自分がいることを表現します。荘子の胡蝶の夢とよく似た観点です。
あの有名なカルト教団の尊師と同じく、人よりも変わった風貌をして、空中浮遊ができるなどと、わざわざ合成して世間に公表してうそぶくヨガの指導者を知っていますが、その人に心を奪われる人も多く、その人たちにとって、同じような防衛機制だけではなく、その不可知な世界に自分を置く現実逃避でもあります。行っていることは当たり前のことを多く知識として知っているので、その神秘性から、その知識まで特別なものになり、多くのカルト教団にはそのような人が集まります。私も神道系のカルト教団の企画室長や、その他の宗教組織の理事など歴任しましたから、やり方は皆同じなことを知っています。
そのヨガの指導者に、私の眼の前でやってほしいというと、その修行は卒業して、今高い次元にいると言って断られましたが、話をとことん突っ込んでいくと、怒って去って行きました。しかし、最後にはとてもかしこい言葉で「私の仕事を邪魔しないでください」と言われたことを覚えています。そのヨガの指導者は風貌はとても奇抜ですが、とても「かしこい」人でした。
このバードマンの副題は「無知がもたらす予期せぬ奇跡」です。副題にある英語のVirtueは奇跡ではなく「徳」という意味ですから、日本語の訳には気をつけたいものです。ここが映画の見所で、荘子の胡蝶の夢の一切斉同のように、ここでは、現実と非現実を区別しない思想を「無知」とします。これが徳を生むのです。カルトの教祖やこのヨガの指導者のように、現実の利益のために空中浮遊や超能力を非現実的であるということを自分で知っていて利用するのは「有知」です。
無知すなわち、ありのままな無為自然な一切斉同が、自分にとって予期もなく無為に当たり前に徳を得るという、東洋思想のタオが根底に流れています。
荘子の思想を表す代表的な説話として胡蝶の夢は「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか。」この説話の中に、無為自然、一切斉同の荘子の考え方がよく現れていると紹介されていますが、この蝶がバードマンである時、これは有知です。しかし、自分自身がバードマンでもあり、自分であるとなった時、これが「無知」です。
そのように見てみると、タオにも興味が出るかもしれません。タオに興味が出ると太極拳にも興味が出るはずです。おすすめです。
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督は、第59回カンヌ国際映画祭で監督賞、第64回ゴールデングローブ賞でドラマ部門の作品賞を受賞した、あの「バベル」の監督でもあります。初作では「人は失ったもので形成される。人生は失うことの連続だ。失うことでなりたかった自分になるのではなく、本当の自分になれるのだ。」とコメントするなど、深い思想を表現する一面があるようです。