今日は、猪木快守さんの一周忌である。
快守さんとは、私が東京の湯島で会社をやっている頃(30代の前半)、頻繁につきあいをしていた。
彼はよく私の事務所に来たり、また彼の事務所に行ったりもした。
彼の事務所には弟のアントニオ猪木さんもいて、とても大きな大皿に野菜炒めのようなものが山盛りにされており、それを食べないかとすすめられた。
事務所に、大きな大皿の野菜炒め?とても不思議な感じだったが、猪木さん達の深いなんともいえないファミリー感を感じたことを覚えている。
ある時、彼からキューバのカストロ議長に国賓として招待されているので、アントニオさんと一緒にキューバに行かないかと誘われた。当事の妻が怖がったので結局は行かなかったが、私が行けないことを伝えると、とても残念そうにしていたことを覚えている。
それから、彼の経営する六本木のブラジルの健康飲料のようなものを販売するお店などにも顔を出したが、彼は日増しに何か忙しくなり、私も彼と会う機会を減らしていった。彼は忙しくなると全く連絡が取れなくなる人だった。
彼はとっても私を気に入っていたようで、年下の私に生き方や思想の話を聞くことが、徳を得るようでとても心地良いと言っていた。
数年前、彼が熱海市の市長選に出馬するというのを聞いて、久しぶりに電話をしてみると、彼の秘書という女性から電話があって「ぜひ会いたいので、また快守から電話を入れますと言っていました。」と伝言があった。それきりであり、彼が亡くなったのを1年前に知った。享年72歳であった。彼との思い出は私の東京に出てきた頃の、めまぐるしい環境変化の中で、数多くの人と関わった一コマであるが、その中でも不思議な何かしら優しい積極性と、いつも何かを求めようとしている行動性を秘めた人物であった。
改めてご冥福をお祈りする。
猪木 快守(いのき よしもり、1938年8月6日 – 2011年3月23日)は、日本神奈川県横浜市鶴見区出身の実業家、政治活動家(第3代スポーツ平和党党首)、テノール歌手(芸名:パブロ猪木)。兄弟には相良寿一(松涛流空手道師範、伯オリンピック委員)、アントニオ猪木(…(出典:NewsWatch)